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エミリア・ウッコネン 日本滞在レポート

本ブログでは、2022年にAITのアーティスト・イン・レジデンスプログラムで日本に滞在したフィンランド在住のアーティスト、エミリア・ウッコネンによる滞在レポートとリサーチの様子を写真とともにご紹介します。
ウッコネンは、フィンランド文化財団のサポートを受け、2022年9月から12月まで日本に滞在しました。

AITのアーティスト・イン・レジデンスプログラムで東京に滞在できたことは、私にとって非常に素晴らしい体験でした。滞在中、私は特に神秘的・超自然的な現象や信仰をリサーチしたいと考え、東京を中心に、さまざまな神社や仏教寺院を探索しました。また、古代の日本について知るために、博物館やギャラリーも数多く訪問しました。

今回の滞在で、私には大きく二つ、印象的な出来事がありました。一つは、霊能力者に会って、私の前世や守護者について、また、未来について聞けたことです。二つ目は、有名な富士山の樹海である青木ヶ原と、広島に訪問したことです。この二ヶ所でリサーチを行ったのは、私が現在取り組んでいる、戦争や個人的な悲劇を目撃した植物や木を撮影する写真プロジェクトのためでした。

青木ヶ原 – 青い木々の草原への旅

青木ヶ原の樹海への旅は、新宿駅から始まりました。私は宿泊先のある町まで直接行くことができるバスを利用しました。高速道路をしばらく走ると、車やコンクリートの壁しか見えなかった光景から、豊かな森林と植生が広がる小道や川や町を通り過ぎ、2時間ほどで目的地の富士河口湖駅に到着しました。

富士河口湖は富士山の近くにある小さな町です。富士山は人気の観光地ですが、私が行った当時はコロナ禍で厳格な制限が続いていたため、外国人観光客はほとんどいませんでした。そのため、幽霊の町に足を踏み入れたような感覚になりました。周辺のいくつかの家にはクモの巣が見え、道路には潰れたカマキリが横たわっており、恐ろしさが込み上げてきました。みんなどこにいるのでしょう。これはまさに今後起こることの前兆のように見えました。

青木ヶ原の樹海

宿泊先は、小さなゲストハウスでした。そこも人がまばらでしたが、私はそれほど気にならなくなっていました。これは新しい経験であり、異国情緒さえあると感じました。翌日は、「自殺」の名所として知られる青木ヶ原の樹海が待っているのです。

樹海は、富士山の麓に広がる森です。この森は幽霊の住処とされており、入ったら出られない場所とささやかれています。私は子供の頃にボーイスカウトに参加していましたが、そうはいっても、広大で密集した森に入り、道に迷うことなく散策する自信はありませんでした。代わりに、バスで散策路の入口まで行くことにしました。そこは、自殺のために樹海に入る人のルートでもあると聞きました。散策路のスタート地点までバスで45分の移動です。バスは小さな町や村を通り抜け、そこには壮大な富士山が常に背景に見えていました。

たどり着いたその場所は、想像していたほど寂しい感じはありませんでした。近くには、通学する子どもたちが乗ったバスが行き交い、観光客用のショップでは、アイスクリーム、Tシャツなどのお土産が並んでいます。人が姿を消す樹海を想像していたあなたは、これが本当にその場所なのか疑問に思うかもしれません。

森の中は奇妙に静かで、やや不気味に感じました。黒い溶岩石が音を吸収するため、鳥のさえずりや風にそよぐ葉の音は聞こえません。ここは、美しさと悲劇の両方で印象づけられた場所といえるでしょう。すべてが緑のコケで覆われています。木々は硬化した溶岩から生えるため、高くまで伸びず、堆積物があるために深く入り込むことができない根は、地上で絡み合った波のように広がっています。森の入り口には、自殺防止のため「命は親からいただいた大切なもの」と書かれたサインがありました。

私は、前日までは問題がなかったカメラのバッテリーが空になっていることに気づきました。これは、心霊現象のある場所の兆候で、今までも同じような経験をしました。散策路から外れると、放棄されたキャンプ跡、コケで覆われた木にぶら下がる切れた縄の切れ端、そして遺骸を発見することもあるそうです。時に「場所」は、私たち自身の考えや感情によって彩られます。青木ヶ原もまた、映画やインターネットで広く<宣伝>され、感情的に取り上げられた場所ともいえ、そうして形成された私の偏見も、この経験に影響を与えているのかもしれません。この森を「おどろおどろしい」、「怖い」とは言いませんが、何かが存在し、その雰囲気が「何かが普通じゃない」と伝えています。私はそこで歓迎されていないように感じました。敵対的なものは何もありませんが、歓迎はされていません。

私は、超自然的な現象、特に幽霊やそれを目撃した人々に関する体験をリサーチするために日本に来ました。私自身もまた、見えない存在を感じたり声や奇妙な音を聞いたりする経験はありますが、実際に幽霊を見たことはありません。しかし、幽霊を見た、と主張する多くの人々と出会いました。私は幽霊とは具体的に何なのかは分かりません。それらは時間のゆがみによるものかもしれないし、過去やパラレル・ワールド、空間の一端を垣間見るものかもしれませんが、想像を超える何かが関わっていることは分かっています。

そして、私は日本で最も心霊現象の多い場所の一つに、一人で立っていました。実際にここで幽霊を見たいわけではありませんでした。私は写真を撮影するために訪れたのです。

私は、強い感情が何らかの形で大気中に残り、音がカセットテープに刻まれるように場所自体に吸収されると信じています。悲劇の場所はしばしば心霊現象の場となります。この森が霊魂によってではなく、記憶によって心霊現象の場となっている可能性があるようにも思えました。

その後、私は、写真を撮影したフィルムをスーツケースに入れて東京に戻りました。数日後、スーツケースを空にすると、森から持ち帰ったドングリが入った小さな袋が見つかり、それらは発芽し始めていました。

青木ヶ原から持ち帰ったドングリは芽を出していた
やがてドングリの苗が成長していく

広島の緑の平和遺産 – 被爆樹木

もう一つの旅では、広島に向かいました。広島は、原爆投下の地として記憶される場所です。私は「被爆樹木」を見るために訪問しました。これらの木は、1945年の原爆に耐えた最後の無言の証人です。約170本の被爆樹木が広島の原爆を生き延びたと言われています。

私は、広島までは列車で旅をしました。日本に滞在中、できる限り陸路で移動することにし、距離感、景色、美しさ、ランドスケープを感じるようにしました。

広島に到着し、すぐに最初の被爆樹木が見つかりました。スーツケースを引きながら川岸を歩いていると、川のそばに柳の木があり、その隣には白い看板がありました。すべての被爆樹木には、その物語を伝える看板があることを知りました。東京を出発する前に、撮影したい木のリストを作っていましたが、それを見るまでもなく、最初の被爆樹木を発見できました。小さな白神社の境内には被爆樹木があり、神社の外にはムクノキ、エノキ、クロガネモチ、柿などが秋の葉に彩られていました。ここは、賑やかな通りの近くで、座ってランチを食べたり、友達とおしゃべりしたりするための場所にもなっていました。

被爆樹木の一つである、ムクノキの葉

訪れた日の広島は良く晴れて暖かく、近くに海があることも分かりました。広島は東京とは違う雰囲気があり、道路は広く、トラムも走っています。多くの建物が戦後に建てられたため、街は現代的で西洋的にも見え、100万人以上の人が暮らす大都市でありながら落ち着いた空気感が漂います。

私のように、多くの人が広島では平和記念館を訪れるでしょう。記念館の周りには美しい公園があり、被爆樹木の一つは、記念館のすぐ外に移植されています。私が訪れた中で最も素晴らしく印象的な被爆樹木は、市の中心部から少し離れた所にある銀杏の木で、その周りには仏教寺院が建っていました。もとからあった寺院は壊れたものの、その木はひどく焼けながらも数年後に新芽を出しました。寺院が再建された時、木を切ったり移植することなく、その周りに建物を建てたのです。

広島で訪れた寺院の前に立つ銀杏の木

広島を去る日、被爆樹木を十分に撮影できたと思いましたが、駅に向かう途中でふと広島城に立ち寄りました。ほかの場所と同じく、再建されたこの城には、生き残った被爆樹木が数本ありました。城の堀沿いには、倒壊防止のための支柱で太い幹を支えられたユーカリの木と、すぐ近くには柳の木があり、城の公園にはクロガネモチもありました。

旅を通してこうした木々と出会い、まさに広島の緑の遺産であると感じました。

広島城で撮影したユーカリの木

エミリア・ウッコネンの略歴はこちら
フィンランド文化財団ウェブサイトに掲載されたウッコネンのインタビュー(英語)はこちら:For English, please visit the FINNISH CULTURAL FOUNDATION website, RESIDENCY ALUMNI Emilia Ukkonen, 2022, Arts Initiative Tokyo, Japan

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